砂漏

砂漏(さろう) きらきらすべりおちる時間のなかで、去ろうとする思いをとじこめて

朗読劇「潮騒の祈り」 

いったいアウラとは何か? 時間と空間とが独特に縺れ合ってひとつになったものであって、どんなに近くにあってもはるかな、一回限りの現象である。
『複製技術時代の芸術作品』(ベンヤミン

 

ベンヤミンアウラ(英語ではオーラ)という概念に出会ったとき、

やはり生の演劇を見ないとな、と思ったことを覚えている。

 

アウラとは、複製ではない1回きりの芸術に宿る、崇高なもの。

 

それをとても強く感じられたのが、朗読劇「潮騒の祈り」(高橋郁子さん演出)。

近年少なくなった「公演をそのままラジオに」というスタイルをとったものだそう。

 

たしかに、朗読劇は音だけでも楽しめるけれども、やはり役者さんたちの

演じるときのはりつめた崇高な雰囲気、圧倒的存在感、表現の幅に

ただただ、海のように呑み込まれた。

 

泡沫の音がして、女優さんたちが白い衣装に身を包んでしずしずと現れたとき

すでにその崇高さに会場は満たされた。

 

作品は、望まない妊娠をした綾子の物語である。

綾子は、うわべでは何気なくふるまいながら

ときに幼い自分に戻り、許せない母親 和江への思いを烈しく揺らす。

 

綾子を演じたのは柊瑠美さん。

母親になろうとする大人の女性と

幼い頃の確執を抱えた少女とのあいだを揺れ動く

そのアンバランスさを見事に演じていて最初から引き込まれた。

 

語りのすばらしさはもちろん、

その表情がなんといっても美しく、息をのむものだった。

 

見たことがある、と瞬時に思い出したのは

カルロ・ドルチの聖母。

 

彼女がある種の恍惚をも孕んだ烈しい煩悶を見せるとき、聖母の姿と重なる。

女性のもつ弱さ、動揺、愛憎、それを包み込んでしまう神聖さ。

観劇することのすばらしさを改めて思い知らされた。

 

女一人で子を育てるため、強くあろうとしたばかりに

綾子の弱い心に気づけなかった母親を演じるのは、東野醒子さん。

 

彼女には、たたずんでいるだけで表現になるような力強さがある。

黙った横顔からも、母親のたくましさ、女親の弱さ、

娘をわからない戸惑い・・・そういったものが伝わってくる。

ひとこと、ひとことに、腰回りの落ち着きに、熟練の重みがあった。

彼女が表現する波の音には人生の深みとでもいうべき味わいがあり

いつまでも聞いていられそうだった。

 

その二人のあいだに、長い黒髪の華奢な春名風花さんがいる。

ほかの二人とはまたちがう神秘的な雰囲気を醸し出していた。

彼女の役は「海」。

綾子のおなかにいる生命の声を、綾子の心を多彩に演じる。

 

心細い声で「おかあさん、たすけて」と呼びかけ、

冷徹な声で「うそだ!」と言い、

悲愴な声で「こわがらないで!」「ここにいるよ!」と叫ぶ。

 

すごいのは、この表現のトーンを瞬時に変えていくこと。

柊瑠美さん演じる綾子との烈しい掛け合いは鳥肌ものだった。

 

いちばんよかったのは、

和江が、綾子の幼少時の言葉をふと思い出すシーンの、春名さんの台詞。

(台詞はうろ覚えだけど)

 

“お空から見て、おかあさんがいちばんかわいかったから、

シューってすべりだいをおりてきたんだよ”

 

幼いこどもがもつ、いたいほどの純良さを

すばらしく演じていて心打たれた。

 

女優である春名風花さん自身の、心のきれいさが透けて見えるような気がして

彼女ほどの適材はいただろうか・・・と思えた。

 

彼女の集中した表情からは(ときどき神がかってみえたほど!)

お芝居が大好きだということも伝わってきたのもよかった。

 

発声がときどき気になったけど

13才で、ここまでの表現の幅がある女優さんがいることに本当に驚かされた。

わたしは彼女を応援してきて、観劇のきっかけも彼女だったが、

これからも表現者であり一生懸命生きている彼女を応援したい。

 

(数年前からツイッターをフォローしており、舞台の役に立つかと『寺山修司少女詩集』を贈ったのだった。実際にお目にかかると礼儀が正しくて、くるくる変わる表情がとてもかわいい)

 

帰りには、ロビーに出演者の方が出てきてくれた。

その時に、舞台では女優さんたちがすごく大きく見えていたんだなということに気づく。

オーラに包まれ、緊迫した演技をしてくれていたからだろうか。

 

***

 

母と娘の物語。誰にとっても、自分の問題としてはねかえる話でもある。

 

帰り道、なんとなく思い出したのは、いわさきちひろさんの

 

「おとなになるということは どんなに苦しくてもじぶんから愛せるように

なるということ」 

 

ということば。(ブログ:「おとなになるということ」参照

 

綾子は、妊娠をきっかけに、ひとつ殻をぬいだ。

 

ずっと言えなかった、「お母さん許さない」を言うのだ。

 

それを和江はうけとめる。許せなくていい、と。

 

綾子はそのとき、じぶんから、愛すようになる。

許せなかった母のことも、父親から認知されないおなかの赤ちゃんのことも。

 

誰にだってわだかまりはあるだろう。でもそれも、許せるときが来たら、

本当におとなになったということなのだろうな。

 

わたしも母のことを考える。

 

言いたかったこと、言えないこと、わかってほしかったこと。

 

帰りにふらりと寄ったセレクトショップで、

母親のすきなSybillaの美しい手袋が目に入った。

 

年末の帰省時に買っていこうかしら。

おせち料理、今年はたくさん手伝わなきゃ・・・

 

言えない言葉のかわりに、せめてやさしくすることを覚えなければ。

 

そんなことを考えた。

 

よい演劇は日常にまでおよぼす力をもっているものだな。