ターナー展
お天気がよかったので東京都美術館でターナー展観に行ってきた。
正直、そんなに期待していたわけでもなく さいしょの展示室では
「ユベール・ロベールのほうが好きかも・・・(ていうかなんでこんな人気なん)」
(´・ω・`)と思いながら見てたけど
「ディドとアエネアス」で「あ」と気づいた。
俯瞰する視点と空気の霞具合が圧倒的で、空を飛んでいるみたい。
それから、
これ。「ヴァティカンから見たローマ、ラ・フォルナリーナを伴って歩廊装飾のための絵を準備するラファエロ」1820年
これも、本物はもっと大きくて透明感があって、ほんとうにヴァチカンからローマを見下ろしている気分がしてくらくらした。
そして極めつけが「レグルス」(1828年展示、1837年加筆)。これを観るためだけにチケット代払ってもいいってくらいすごくて足が震えた。
まぶたを切られ牢獄につながれたレグルスが外に出て日光にあたったとたん失明する、その瞬間。
ヴェルニーニの「アポロンとダフネ」、カルロ・ドルチの受胎告知、フェルメールの「マルタとマリアの家のキリスト」(の、キリストの手の甲)以上に、
口をあけてぽかんと、全神経を集中して観る絵だった。
その絵一枚をみおわっただけで、ふわーとため息がでたもの。
題材も含め、忘れられないだろうなぁ。
(でも「レゴラス」っぽい題名、と覚えてしまう)
これは観に行ってよかった。
あと印象的だったのは「ヴェネツィア、嘆きの橋」。
本物はもっと、白が強烈にあかるくて海が澄んでる。
右の、囚人の列(嘆きの橋のゆえん)とはあまりに対照的。
わかるなぁ、この、自分の嘆き・絶望とはまったく関係なく
空はぽっかりと晴れてなにごともないかんじ。
あれはぜんぜん、救いではないのだ。
それで救われるんだったらそんなものは絶望ではない。
でもそれは 無慈悲 でもない。
人の営み、と言えばいいのだろうか。
美術館って、行って観てよかった、で終わらない。
そのあと、泡のように思い出す日々を、遠くからまた手にすくいとってみる感じがする。