とつぜん、春の嵐のように救われるということ
大学生になってから、思わぬ方向からぶわっと、春風が吹くように救われることが多々あった。たぶん救った側もその意識なしに。
ひとつに、「居場所」という言葉。
居場所がないなぁとか、居場所をうしなわされたと思ったときに、なんとはなしに英語ではなんていうんだろうと思って調べてみたら。
I feel no more comfortable here.
「もはや」「ここは」(私にとって)ここちよくない。だから、わたしの居場所ではない。
このシンプルな自己決定のしかたにわたしはショックと感銘をうけた。
農耕民族と狩猟民族のちがいだなー。
日本人にはそもそも、じぶんのいる場所を「選べる」という感覚はあまりないんじゃないかな。海外では転職するのがむしろ当たり前なことからも。
そのときから居場所のなさは、感じさせられるものではなくなった。わたしにとってもはやここちよくないだけで、自分からここちよい場所をさがせばよいんだ、という方向へシフトチェンジできたからだ。
たった英語の一文の翻訳に思わず救われてしまった。
ちなみにフランス語では「居場所」という言葉じたい、なかった。
自分の悩みなんてふっとぶ瞬間。