砂漏

砂漏(さろう) きらきらすべりおちる時間のなかで、去ろうとする思いをとじこめて

わたしなりのボランティアに行くことの意味。

 

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クリスマスに岩手の仮設住宅にサンタをしにいくのですが

そこに飛び込む前に
「なんで私は行くの?自己満?寄付したほうが?モヤモヤ」と思うのです。
(ありがちw)

でも、なるほどなと思う考え方がありました。

すごくかわいくて今すぐ着たい服が1万円だとする。レジに行ったら
1万円をユニセフに寄付したら子どもの給食を30人分まかなえるというチラシを目にする。

そのとき多くの人はまるっと1万円寄付はしない。
それは人間は目の前のことに「オートフォーカス」して判断するから。
(人間には後で「マニュアルフォーカス」することもできるのだって。)

場所が離れたところで人が苦しんでいても、
「大変だなぁ。うわ、キャベツ1玉100円!買わな」みたいになる。
それがオートフォーカス機能だし、生きていく上で当たり前に必要だとは思う。キャベツ1玉ぜったい買うもん。

でも、いろんなところで何が起こっているかを知れる今、
ちゃんと行ってみてその場に「フォーカスをあわせる」ことが必要なのかもね。

なんかはっきりしました。
私は「フォーカスをあわせに」今の東北にいってきます。いくぜいくぜ!