砂漏

砂漏(さろう) きらきらすべりおちる時間のなかで、去ろうとする思いをとじこめて

はかない習性、つよさと弱さ。

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Photo: Lake Union, Seattle

 

1951年の『詩学』読んでいて、震えるほどいい詩を見つけた。

 

 

「生理」大畑専

 

おまえは身を起す

つかれた肉體のなかから

 

おまえは衰えている

さまざまの形の内臓のなかで

 

おまえは見つめている

瞳孔から立去つてゆくトルソの列を

 

おまえは聴いている

三半規管に残つている甘酸つぱい律動を

 

おまえは觸れている

不安な乳房と幼い髪の毛に

 

おまえは考えている

病んだ脳髄のなかで

 

おまえの睡眠

おまえの排泄

おまえの愛情

はかない習性がおまえを支える

 

おまえは生きている

脱れ出ることの出来ない皮膚につつまれて

 

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「幼い髪の毛に」までのやるせない、どうしようもできない弱さ。

「おまえは考えている」からの、それらを払拭することばの力強さ。

どうしようもなさを抱えながら、それでもまだ、生きていることを

ここまで書き切る詩をはじめて見た。圧倒的にいい詩だ。圧倒された。

 

時代のせいか、戦後の「詩学」や「現代詩手帖」を読んでいると

素晴らしく生と死のあいだを詠んだものに出会う。

 

死を直視したあとの、生の肯定というしずかな力強さを、ひしひしと感じる。

とくに

 

おまえの睡眠

おまえの排泄

おまえの愛情

はかない習性がおまえを支える

 

というスタンザにぐっと来た。

病におかされていればいるほど、こういう習性は「はかない」。

かろうじて、自分をこの世につなぎとめていてくれるもの。

 

 

おまえは生きている

脱れ出ることの出来ない皮膚につつまれて

 

 

という、最後の、振り切るような断定。

「おまえ」が大事な、つなぎとめていたい人なんだろうな。

 

自分の体も心もぼろぼろだった頃と、

いま病気とたたかっているだいすきな女性とその旦那さんを思う。

でも、それがいやな感じではなく、

「そう、生きていくんだよ、それでも」というような、

やがて朝をむかえる夜のような読後感。ひたひたと満ちる感触。

弱いことに屈しもしないし、けれど強くなりすぎることもしない。

(かたくなに強くなることは、自分の弱さをぜんぶ「見ないようにする」ことだ)

 

大畑専、ノーチェックというかまったく知らん人だったけど気になるる〜!(`・ω・´)