森のなかで気づいたこと
photo: Saku, Nagano
長野の森小屋で暮らしている人のところに仲間たちと遊びにいった。
昼はわさびの花やタラの芽を収穫して。
ハンモックでゆらゆらしたり、本を読んだり
あかるいうちからワインを飲んだり。
夜はテラスで料理をして
キャンドルを灯していろんな話をして
ドラム缶風呂にはいりながら星をみあげ。
朝は散歩のあとにしぼりたての牛乳を飲んで
みんなで外でオムレツをつくる・・・
そんなムーミン谷のような豊かでゆるやかな生活がそこにはあった。
・・・
すばらしく自由であたたかな人たちと
山の景色を見ながら料理してお酒を楽しんでいるとき、
ふっと、涙がでるくらい幸せな気もちで
あ、わたしにもこんな風に人生をたのしむ権利があるんだ!
という「あたりまえ」なことに気づいた。
今まで「死ななかったから、成すべきことがあるはず!」と
しがみつき、目をふさぎ、自分を苦しめていたのが
「生きていたんだから、幸せな瞬間をたくさん経験していいんだ・・・」
にかくじつに変わった瞬間だった。
これまでにも、もったいないほど幸せな瞬間を数え切れないほど
もっていながら、そう思えなかったんだよな。
あと、自然のなかに身を置くことで
自然はいつもここにあって、わたしは人間だから自由に動ける。
どんなわたしになっても、消えてしまっても、自然はただそこにある。
ということをなんとなく実感し、安心とパワーをもらう。
そして。
家に帰って、ぐうぜん4年前映画を自主制作したときのコンセプトがでてきた。
ひさしいあいだ枯れしぼんで閉ざされていた
わたしの心は いま美しい世界に挨拶する。
その枝々は芽ぐみ つぼみをつける。
新しい世界のみなぎりに。
そうだ、わたしはもういちど生に帰ってきた
ヘルダーリン「ディオティーマ」
これを書きつけた頃、なんとか「こっちの世界」に戻ってこようともがいていた。
いまわたしは、まさにこの通りの世界に身をおいていることを実感している。
生きていたんだから、人生をこれからたのしんでいいんだ。
そうだったそうだった。
あしたは友人が来るからマドレーヌを焼くし
あさっては外でバーベキューして映画を見る。
そんなふうに楽しんで、まわりに感謝しながら
生きていって、いいんだなぁ。
とってもうれしいなぁ・・・。