砂漏

砂漏(さろう) きらきらすべりおちる時間のなかで、去ろうとする思いをとじこめて

五感をとぎすます

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photo: 津屋崎 恋ヶ浦

 

さむいな、と思いながら歩いているときふと思い出す、

野口健さんの雪山の話。

 

雪山はまったく「におい」がないから、

においの缶詰をもっていくんだと。(うなじの香りとかの缶詰があるらしい)

 

五感の一つでもきかないときの、「生きている」ことから離れている感覚、わかるな。

そこでは、うなじという「生きている」においが、自分を「生」に引き寄せてくれること。

 

むかし、いろんな感覚がまひして数日過ごして、

自分が着させられているパジャマが、ただのピンクではなく

「しまもよう」が入っていることに突如気づいたときの、

急激に世界が「よみがえった」感じ。

 

五感を満たすことを、わたしは愛おしむ。

匂いをかぐ、耳をすます、手に触れる、目をこらす(まだ裸眼)、味わう。

 

人間関係には、五感をきちんと使って第六感を働かせることが大事だと

江戸時代のひとたちは言った。

 

ネット社会で、見ること聞くことだけがだいじになっていないか。

ときに立ち止まって薔薇の香りをかぎ、

はだしになって海や草の感覚をたのしみたい。

 

それが自分もまわりも大切にすることだとおもう。